まどか☆まぎかについてメモっておく

1話から10話あたりまでの情念と業の連なり、積み重ね。それを受けての、クライマックスでの少女の決意をもって神様が生まれ、世界がちょっと書き換わる。これは神話のありようですよね。神話として綺麗に片がついているので、ちゃっきりと切られてしまってそれ以上を想う気にならない。そんなお話。

プロジェクト・トリニティ

ブライトライツ・ホーリーランド (電撃文庫)

ブライトライツ・ホーリーランド (電撃文庫)

ブライトライツ・ホーリーランドで遂行される計画「プロジェクト・トリニティ」は、神を誕生させようとする壮大な計画だ。
そのモデルは、もちろんマンハッタン計画におけるトリニティ実験である。
であるから、クライマックスにおいて、神の生誕のために爆発させられるアザナエルは、爆縮レンズの爆薬に相当する。
「神の爆薬」アザナエルが32体であるのは、その配置がトリニティ実験の爆縮レンズを模しているからだろう。

というわけで、爆縮レンズの構造イメージを引くことで、神の誕生のシーンでアザナエルがどのように配置されたかのイメージを補強できそうである。

32というのは、32面体(切頂二十面体 - Wikipedia、サッカーボールの形)の面の数なのだ。


ここでひとつ疑問が残る。「239体のコードα」の、239という数字はどこから来たものなのだろう。
プルトニウムの原子量は244のようだし、どうも数が合わない。
トリニティ実験に参加した人(つまり、魂をささげた?)の数は、Wikipediaによると約260名で、これも数が合わない。
誰か、うまい(面白い)解釈してる人はいないものか。

古橋は、純粋に「壮大な事象」の象徴として核爆発を引用するというのを何度かやっている。

ケルベロスのラガン帝も、だから、そういう描写をされたとしてもおかしくはないな。
(どっちかというと、天から落っこちたギルガガガントスの王族といった印象ではあるのだが)
あと、古橋はアメコミは昔から読んでいたようではあるので、ウォッチメンの影響はあるんじゃないかな。
Dr.マンハッたん。

中古ゲーム買うな、って何年前の思考か

まこなこ

だいたいこっちに(yocc名義で)投じたコメントで書いたけど
http://www.sside.net/2008/10/post_399.html

これって、10年以上前の日本のゲーム業界が羽振りが良かった時期の、メーカー様の思考そのものなんだね。
wikipedia:テレビゲームソフトウェア流通協会

wikipediaなので編集者の偏りとかは考慮の必要があるけれど、そうとうに激しくやりあったのが見て取れます。
それで結局メーカー側と中古販売業界は最高裁までいって争った挙句、結果はメーカー側が敗北したわけです。それでこの件は法的に決着が付いちゃった。最後まで争ったことで、メーカーは流通と前向きな関係というか、中古市場においてメーカーの利益を確保するような仕組みを作るということができなくなった、というのも想像は付く。裁判に負けたことでメーカーの立場はかなり弱くなったでしょう。


だからこの話は、「何をいまさら」で片付けていいと思うんですけどね。せめて歴史を踏まえて欲しいというか。
将来においてダウンロード販売とかが主流になったら、というのはまた未来の話ということで。(その方向性が不可避というのはSSIDEさんに同意しますが)

コードギアス見てないんだけど

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080826/168874/

抑圧した上で、突き破ろうとして出てくるのが個性だからです。

これは、方針としてはハズレ。大外れ。こういう「世界は自分の思うようには行かない」系の抑圧は、殻を突き破る一部の人間よりも、遥かに多くのプチ世捨て人を作り出す。そういう人たちが増えていくと、国が機能不全に陥るでしょ。民主主義ってそういうもんだよ。

……というか、ドラスティックな体制の変化、ぶっちゃけ革命みたいなのを夢見てないか、この人?(笑)「社会」は「敵」だとか言って。それで生活していけちゃうのがいけない、とか言って。アニメの中身がアレだからそういう印象を受けるのかもしれないが。

毒っつっても、自分で思ってるのと違って、彼自身のガキ臭さがそのまま毒になってるだけなんじゃないか。「メッセージをこめた」と、つまり社会に影響を与えうることを自覚しながら「毒だ」と開き直るのも印象悪い。


創作に己のドブ泥が投影されちゃうなんて普通のことだから、まあいいけど、なんか無自覚で無反省に見えるのがやな感じだな。

踊るか、踊らされるか

どうせ躍らされるなら、最後まできっちり躍らせて欲しい。

株式会社ガンバ大阪のサポーター対応に思う。

何を甘えているのかと言いたいなぁ。
「クラブは企業体にすぎない」のは一面の真実、一方で、「クラブとサポは一心同体」も一面の真実でしょ。たかがそのぐらいの多面性は腹に収められるようになれよと。
クラブ側の演出にばかり一方的に頼ってんじゃないよ。引いたアングルでの構図も把握した上で主体的に踊れよ。


ガンバサポはひとつ大人になる機会を得たってことでないの。
サポーターとしては、今回のことを経た上で、クラブとどう向き合っていくのか。
クラブとしても、ガンバはここを乗り越えられれば、ひとつの前進になるだろう。スタジアム新設は一筋縄ではいかないね……