世界の複製

この話を読んでいたら、前田珠子のファンタジー、堕神綺譚を思い出した。

どういう話かというと、ええと、あらすじは他サイトに譲るとして。

創造種と呼ばれるアーティストは、二人つがいで“小世界”を生み出す。小世界は大世界の余剰エネルギーを受け入れることで、大世界の安定に寄与する。小世界は、そのために崩壊することが運命付けられている。
創造種=MMORPG製作者、小世界=MMORPG世界、大世界=現実、ってことで。MMORPG世界は製作者・運営者の力不足により、あるいは現実世界の矛盾を受け入れ、受け止めることで崩壊していくのですよ。
(で、あるいはMMORPGも、現実世界の歪みを受け入れることで、その軽減に役立ってるのかもしれないけれど、そんなん社会学的な話はわからんのでパス)


創作をやりたい人間というのは、(自分だけの)世界を作りたいというカミサマ的な欲求をもつものなのだろう*1。しかしゲームでは世界に入り込むやからがいて、小説や映画などの静的な(製作者以外干渉しない)作品*2に比べると、安定した系を作ったりするのが難しく、完成度を高められない。特に多数が参加するMMORPG複雑系だ、安定を保つだけで苦労するだろう。
そして実際、その世界は自己顕示と仮想労働を軸とし、(人の集まりという意味での)擬似的な社会を構成する上等とはいえない世界で、しかしそこに降りていく人はたくさんいる。……まあ、なんとも。それはつまりこの現実世界が、それほどにままならぬのだと言えなくもないわけで。


何が言いたいのかよくわからなくなってきたので、このへんで終わる。

*1:造物主から世界が生まれ、人間が生まれたのだとすれば、人間もまた世界を生み、(小)人間を生み出すことで親たる神を超えていくのが人の進むべき道、という気もする。いや、これは一神教における神と人の関係を、俗な親子関係に類すれば、という話だけれど。まともに神学やってる人に怒られそう

*2:ただし、公表すれば当然読者という要素は現れ、感想を言ったり好き勝手に批評したりするので、創作者だけのものとも言いがたいのだけれど。しかし趣味で作る場合でも、誰かに見せないと創作欲というのは収まらない場合が多い。「俺の作品を見てほしい」という顕示なのだけれど、「完璧な世界を作りたい」とは矛盾していたり