都市伝説の味わい

元ネタかどうかは知らないが、よくにた短編漫画がその昔、WINGSに載っていた。


うろ覚えだが、あらすじはこんな感じだ。
一杯のクラムチャウダーをつくる描写で、物語は進んでいく。男はレシピを用意し、材料を買ってくる。
下ごしらえの合間に回想が入る。「私が死んだら私を食べて」何気ない冗談のように彼女は言うのだが、その直後に彼女は死んでしまう。
葬儀が終わり、彼は一人でクラムチャウダーをつくっている。
レシピの仕上げは、彼女の遺灰。
クラムチャウダーを一口すすって、物語は終わる。


上の「私を食べて」よりは、このクラムチャウダーの話のほうが洗練されていて好きなのだが、匿名ダイアリーのこの話には、都市伝説的な味わいがある。「ネタだ。ネタに違いない。……でもひょっとしたら…」という微量の期待。吐き気を催しながら無理やり食べるホラーっぽい不気味さも都市伝説に通じるだろうか。

ちょうどタイミングよく、こんな記事が出ていた。

情報伝達がはやくなったおかげで、世の中の見通しがよくなった分、見渡せ過ぎてしまって味気ない、という雰囲気はある(おそらくそれは錯覚に過ぎないのだが)。情報流通の届かない暗部から浮き出てきたような都市伝説は、味気ない現実に対するカウンターとして、信じてみたくなるような要素があるのだろう。都市伝説自体は昔からあったと思うが、意味づけが多少代わってきてるのかもしれない。


似たような語り手法は、たとえばこのあたりもそうだったり。

分裂勘違い劇場の初期のエントリも。(作者の属性が謎だったのがミソ)


ただ、願わくば。作者の方は真実を明らかにせずに正体不明のまま去って欲しいと思う。都市伝説としての楽しみを奪わないでくれ(笑)
結局この手法は、物語を語る手段としては普通にやるよりも効果が高いのだけれど、創作した人間としてはタネをバラすバラさないのジレンマがあるのだな。