ノスタルジー

年寄りはノスタルジーを裏切らないし、ノスタルジーも年寄りを裏切らない。
最近ノスタルジーについて考えることが多い。トシだ。
過去の思い出に価値はあるだろうか。記憶はすでに手の届かなくなった夢である。そして夢は美化されるものだ。老人が「昔はよかった」というのは当たり前だ、現実の今と、記憶の中の夢を比べたら、夢のほうが良さそうに見えるに決まっている。
ノスタルジーに逃げ込むのは、自分の場合あきらかに未来に対する不安が……ってそんな話はどうでもいいや。


ゼーガペインはノスタルジーテーマとしては中盤までかも。中盤が一番面白いのだが。「記憶に過ぎない俺たちに意味ってあるのか」という命題は、再生の可能性が具体化してしまった時点で破棄されてしまう。

ノスタルジーテーマでは忘れられないのがファントムダスト

ファントムダスト 通常版

ファントムダスト 通常版

存在自体が……あるいはこのゲームについて語ること自体がノスタルジック。初代XBOXのゲームであり、かつ360では互換していない――つまり遊ぼうと思ったら、ソフトのほかに中古のXBOXの、あのでっかい黒い箱を購入する必要がある。今後、未来においてこのゲームを遊ぶ人はそう多くないだろう。
あとで、自分の中の記念碑的に語っておきたいところ。


下は、かつてXBOX公式サイトで配布されていた映像。このビデオはお気に入り。

そういえば、ARTIFACTでも触れられていた。荒涼としてしまったかつての場を見て切なくなる。正しいこのゲームの楽しみ方である。