物語の長尺の面白さ/断片的な面白さ

http://d.hatena.ne.jp/hakuoh/20061123#p1
2006-11-23


動物化するポストモダンにおける断片化、細分化のお話を連想。
http://izyn.grf-design.com/2/moe/moemoe.htm


あるいはこんなコードギアスゼーガペインの比較記事とか。

■手に入れたものを次々と■: 550 miles to the Future
■小休止■: 550 miles to the Future


テヅカ・イズ・デッドのキャラクター→キャラというのも似たような雰囲気。
伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を読む(4): たけくまメモ


全般的に、解釈を必要とする、スパンの長いお楽しみ(作品を通底するテーマであるとか、作者が仕掛けてひっくり返す構造であるとか、積み上げてって最後に崩す展開とか)は軽視される傾向にあんのかなーとか思う。瞬間的、感覚的なお楽しみのほうが主だよね、今。*1


ま、世の流れがそうであるならそれはそれで仕方が無いのだが、あんまりそっちに傾倒しすぎて、オハナシをしっかり読ませてくれる作家が淘汰されてしまったら悲しいものがある。
断片的なお楽しみの積み重ねに加えて、スパンの長い仕掛けでゴツイものを見せてくれるものがやっぱり面白いと思うのですよ。


ちなみに……

それが本当に面白い作品であれば見る順番によって面白さが致命的に減じることはない

あるレベル以上の作品であれば、たいていはスパンの長いお楽しみ(物語とかテーマとか)と、短いお楽しみ(個々のシーンやキャラやもろもろ)の、両者の要素を兼ね備えているので、スパンの短い面白さをより重視する人であるならば、それは成り立つだろう。(しかし、スパンの長い面白さをスルーしている可能性は否めない)

トラコメ遊びの元記事は、断片的なシーンにも、スパンの長い部分での面白さというのは写像されているので、長尺で面白い話はシーンも面白い、とそういうことが言いたいのだろうか。
元々これらは相補的な関係なので、頷く部分もあれば違うだろうと思うところもある。
長いスパンで心情描写を積み重ねることで、あるシーンのたったひとつの台詞を際立たせる、というような仕掛けがあったとしよう。そういう場合、作者の技量によってはその単一のシーンだけを見たとしても、そこから背景的な部分を想像させることはできうる。けれど、それは、背景を知った上でその台詞を目にしたときのインパクトとは、まったく別のものだろう。

*1:現役のライトノベル読みさんの実感としての記述があったので追記。2006-03-30