読書記

ファントムダストをレビューしようとして、案外まっとうに語ろうとするとメンドイことに気づく。感想なら「○○と○○がすばらしかった」ですむんだけど、そこで欲張って「かつてこんな物語がありました」というログを残そうとするととたんに難しくなる。


ので、投げ出した。かわりにずっと積んであった「ある日、爆弾がおちてきて(ISBN:4840231826)」を読み出す。
4編ほど消化。これはいい、黒いのかせつないのとかを煮詰めてエッセンスに使ったような短編がいくつもある。


で、思わずふきだしたのは「出席番号0番」を読み始めたとき。
なにって、最近このへん
偽りの共同体ゲームを破壊する為にいじめ加害者を理解する - アンカテ
あたりを読んでたわけですよ。いじめ問題て吹き上がっちゃったしね。そんなときにこのオハナシ、憑依人格がクラスの誰かの身体を日替わりで借りている、という話なんだけど、その憑依人格に対して、

一種の「社会的な生理現象」として認められている

人間関係の仲介役として作られた“公平な第三者”というわけね。昔だったら神様とか国とかがそういう存在だったんだけど、現代社会は宗教や共同体の力はそれほど強くなくて、その反面社会的なストレスは大きいから、その反動として“クラスにいる、誰でもない人”みたいな人が存在させられてしまうというわけ

*1
こんな解説が入る。まあたんに、たまたまこちらの興味が向いている方向にピンポイントでヒットが来た、というだけの話なのだけれど。
憑依人格である日渡千晶は、迷惑がられながらも、案外、楽しそうにやってる。いじめられそうな調子のよさもあるが、なにしろ日替わりで憑依するのであるし。


なんとなく、“現実”と比較していろいろ考えてしまうのであるが、眠くなったので中断。


追記
要は、「そんなモノがシステムとして存在するならば、いじめも少しはマシになるんではないか」という牧歌的な考えが脳裏をよぎったのだが、実際にはいじめが発生するほど抑圧の強いクラスでは、出席番号0番は日替わりのいじめられ役として機能するだけではないか、という気がしてきた。
クラスの集合無意識みたいなものらしいから、クラスが解散すればいなくなってしまうのだし。って、なんかネガティブなほうに考えが流れるなぁ。

*1:そういえば、ブライトライツホーリーランドも「宗教は力を失った」的なことを言いたい雰囲気はあったなぁ