いや、読者じゃ駄目じゃん? イラストレーターも作品作る側に

だから、イラストレーターというのは、絵師である以前に第一号読者なのだ。

404 Blog Not Found:それ以前に、作品ちゃんと嫁>イラストレーター

いや、読者じゃだめじゃん? この手のことを解決するには、もうイラストレーターを巻き込んで、ライトノベルという作品を、作家とイラストレーターの共同制作物としてつくるしかない。


現状では、本文が出来上がってからイラストレーターがあとからやってきて、本文に合わせてイラストを書く、たいていはそういう工程。イラストは作品に付加されて価値を高めるパーツではあっても、本質ではない。あくまであとから付け加えられたもの、という作り方。
いまでも職人的なイラストレーターは作品を読み込んで書いてくれるわけですが、それはイラストレーターの努力に拠る。イラストレーターにとってはイラストこそが自分の仕事の成果であって、イラスト単体で評価されうるものだし、だいたい本文面白くねーし、読んでる時間ねーし、報酬少ないしそこまでやる義理はねー、となったら通り一遍等読むだけでイラスト書きとしての最低限の仕事で済ませてしまうことはありうる。かくして本文読み逃しだの、あるいは作品を読みきれずに本質を突いたイラストをかけないだのといったことが起こる。


これを覆すには、作品作りにもっと早い段階からイラストレーターを巻き込む、そんな案が思い浮かぶ。企画段階、構想段階からイラストレーターと意見交換し、早い段階でイメージイラストをラフに描いてもらって作家のイマジネーションの糧とし、作家、イラストレーターの共同作業で本を作っていく、そんなイメージ。
イラストレーターの扱いを“イラストも本文も込みの作品”の原著者の一人として、作品の出来に責任をもたせる、そういう方針。拘束時間を増やす代償として報酬も増やす。あー、担当編集さんの名前も出すべきですな。編集もマネジメントや作家のモチベーション管理なんかもやってるんだから、名前出すべきですよ。
で、ここまでやってはじめて、イラストを作品の一部として取り込めるんじゃないですかね。


ま、このへんは古橋秀之前嶋重機あたりの(うまくいったっぽい)関係を念頭に書いてるわけですけれども*1

ただ、このやり方がすべての人にとってベストかといえばとてもそうとは思えないわけですが。チームの維持というのはふつーの仕事では当然重要な要素ではあるのだけれども、作家とイラストレーターという、単独で作品を作り上げてそれで飯を食っている人間が交流するには、互いの仕事に対する理解と敬意が不可欠なわけで。作家が「あんたは俺の言うとおりに絵を描いてりゃいいんだよ!」とのたまったり「書くのおせーよ」「あんたの作品は面白くない」とイラストレーターがぶちまけたりすると目も当てられない。結局編集が間に入ってビジネスライクにやり取りするぐらいのほうがいいのかもしれない。
前述の古橋・前嶋というコンビがうまくいったのは、古橋秀之イラストレーターという仕事にかなりの理解を持っていたことと、もともと両者に交友関係があったこと、などが前提にあったようですし。
まあ、そこらへんは編集さんががんばって仕事しろよ、という話になるのかもしれません。というか、ライトノベルの作り方を変えうる位置にいるのも編集さんだしなあ。編集さんがんばれ。

*1:前嶋重機は古橋が自分のコネでひっぱって絵師に。「蟲忍」では前嶋重機主導というスタイルまで試している。