名前を出すということ

http://d.hatena.ne.jp/m_tamasaka/20070929/1191023224

あー私も以前「編集も名前出せ」といいましたっけ。多分、作品作りにおいて編集さんが占める影響力の大きさから見て、編集さんが名前を出して仕事するという方向は、それほど間違っちゃいないとは思うのですよ。


ただ、作家というのは、作家というパーソナリティを売り物にする芸人みたいな側面がありまして。つまりは、「自分が書いた作品」だけではなく、「作家としての私」を商品として不特定多数の読者に晒す部分がある。特にライトノベル作家なんかは、作家自体がキャラクター化しているなんて言われますよね。
対して、編集さんは、付き合う相手自体はごく普通の職業人の範囲にとどまるでしょう。そういう人がいきなり不特定多数の読者の視線が刺さってくるような、そういうポジションに来たがるかな?


一例だけをあげますが、古橋秀行は一部の著作で、担当編集さんを「ミネさん」という呼び名で(おそらくは本人の同意の元ででしょうけれど)あとがきに登場させたりしてるんですが、あれってよく許したよな、とちょっと思う。「にょ」とか言わせてますし。
で、結果として一読者である私は、ブライトライツ・ホーリーランドを世に送り出し、タツモリを立ち上げ、打ち切り、その後もどこまで担当が続いてるのかわかりませんが、まあそういう仕事に携わる編集さんを、仮称だけれど知ることになった。
で、この場を借りてミネさんに言いたい。ブライトライツ・ホーリーランドを世に送り出してくれてありがとう。でもできればもう少し売らしてやってほしかった。あとタツモリを打ち切りにしたのだけは許せないから、どうにかしてやってください。


……とまあ、こんな感じに、仮称でも名前を出すことで、読者からの視線、意識が直接編集さんに向かうことになる。私はごく普通の職業人として、取引先のわずかな人相手にしか名前が売れてない人なわけですが、そういう感覚からすると、不特定多数の人から視線を向けられるというのは、実はかなりキツいものなのではないかという気がする。
それでも作品作りにおける責任の大きさを考えると、編集さんはもう少し前に出てきて、読者の批判的な視線にも晒されるべきとは思うんですがね。作家だけにそれを肩代わりさせずに。まあ、徐々にそういう方向になっていくといいな、と思います。